台温泉かわらばん
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1200年前の大同年中 (紀元後806年ごろ) 坂上田村麻呂の家臣が、この地に温泉があることを聞き、将軍に征夷の疲れを癒してもらおうと、 温泉に入浴することをすすめた。将軍はからだの疲れがとれたと喜び、「祈願することがある」と言って、神社を修復し仏像を 作り神社に安置し祭典を行ったといわれている。 坂上田村麻呂が「躰癒ゆ」と言ったことから地名を「薹・ダイ」と呼ぶようになった。 |
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600年前の元中4年(紀元後1387年)湯本の猟師が雉を追って山奥へ入ったとき、渓谷の あいだから煙が立ち登っていた。 それを見た猟師は村に帰り、将監に話して聞かせたところ、将監は、「これはきっと温泉に 違いないと思い、ひとり山へ登り温泉を発見した。この温泉が大湯(雉子の湯)であり台温 泉発祥の地であるといわれている。 |
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史実からの流れを追うと、将監が台温泉を発見した当時の日本は、南北朝時代の後期であり、稗貫地方では稗貫氏が隆盛をきわめていた。 その後、南部領となってからも、台温泉は南部藩の温泉の中では最も早くから開けたところである。 天保年間前は、ひとつの規則があり、台温泉内には七戸のみ住むことが許されたといわれている。 しかしながら天保10年、台温泉は火災にみまわれ浴場がすべて焼失したことも。。。 |
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台(原名タイ)タイはアイヌ語では森林の意味である。 現在も台温泉は樹林に囲まれた山峡の温泉場であり、これから単純にアイヌ語を語源として台温泉の地名ができたと考えられる。 またひとつは、坂上田村麻呂が台温泉のお湯に入り遠征の疲れを癒したことにちなんで、台と言われるようになったとも言われる。 坂上田村麻呂とのかかわりのある場所は、花巻市内で台温泉神社のほかに羽山神社、円万寺観音堂熊野神社(上根子)、太神宮(湯口)、将軍寺(轟)、清水寺(太田)など |